「シャネル」のデザイナーであるカール・ラガーフェルドが死去

今でも人気の「CHANEL」「FENDI」のデザイナー カールラガーフェルド氏

こんばんはティーです。とても残念なニュースがあります。今でも大人気なシャネル、フェンディーのデザイナーであるカールラガーフェルドさんが2月19日に亡くなられました。

「CHANEL」(シャネル)と「FENDI」(フェンディ)のデザイナーであるカール・ラガーフェルド氏(Karl Lagerfeld)が2月19日にパリで死去した。85歳だった。「WWD-NY」や「Business Of Fashion」などが伝えた。1月に行われた2019年春夏オートクチュールのショーではフィナーレに登場せず、体調が懸念されていた。

一月の時点で体調が優れない様子だったそうです。

かなり無理をされていたのではないでしょうか。

私たちに馴染みのある「H&M」とコラボし“ファッションの民主化”を推進

した事でも有名だったカールラガーフェルドさん。では実際にはどんな人だったのか?







カールラガーフェルドとは?

 1933年、ドイツ・ハンブルク生まれで、17歳で「PIERRE BALMAIN」(ピエール・バルマン)のアシスタントとして働き始め、「JEAN PATOU」(ジャン・パトゥ)、「KRIZIA」(クリツィア)、「CHARLES JOURDAN」(シャルル・ジョルダン)、「VALENTINO」(ヴァレンティノ)でキャリアを重ねた。一時期、ファッションを離れてイタリアでアートを学んだ後、「FENDI」のデザイン・コンサルタントとして業界に復帰。70年代には「CHLOE」(クロエ)のデザイナーとなり、評価を確かなものとした。

 「CHANEL」のデザイナーに抜擢されたのは1983年のこと。貴族出身の元祖スーパーモデル、イネス・ド・ラ・フレサンジュをミューズに据え、創業デザイナーのココ・シャネルの死(1971年)以来、低迷していたブランドをハイファッションブランドとして蘇らせた。自身のブランド「LAGERFELD」(ラガーフェルド)も手がけたり、写真家としても活動するなど、多忙を極めていた。

 さらに、2004年にはファストファッションの「H&M」とコラボレーションして世の中を驚かせ、ハイファッションを大衆の人々の手の届くものとして届ける「ファッションの民主化」に大きく寄与。デザイナーズ・コラボ・ブームの先駆けになった。

 白髪をポニーテールにし、黒いスーツと襟高の白シャツ、黒のグローブに黒のサングラス、そして「CHROME HEARTS」(クロムハーツ)のジュエリーというスタイルはファッション業界のアイコンであり、モード界の皇帝と呼ばれるにふさわしい存在感を発揮していた。

彼はとてもすごい方ですね。ラガー氏がファッション文化を切り開いていったと言っても過言ではありません。

さらに続きます。

若者を尊敬&数々有名ブランドのデザイナーを務めた

若い人々をリスペクトする懐の深さもあり、その才能に惚れ込んだエディ・スリマンの「DIOR HOMME」を着るためにダイエットをした逸話はあまりにも有名だ。

 イネスが「UNIQLO」(ユニクロ)とコラボレーションを発表した際には、パリのお披露目のエキシビション会場に激励に訪れたり、昨秋のパリ・ファッションウィーク中には若者から人気上昇中のコンセプトショップ「NOUS」(ノウス)に立ち寄る姿なども見られた。

 「CHANEL」と「FENDI」の後任デザイナーには、元「LANVAN」のアルベール・エルバスや、カールと同じ元「CHLOE」のデザイナーを務め直近まで「CELINE」(セリーヌ)で人気を得たフィービー・ファイロ、さらには、元「LOUIS VUITTON」(ルイ・ヴィトン)のマーク・ジェイコブスの名前も取りざたされていて、次の興味の的だ。


高級ブランドから私たちも必ず愛用したことがあるファストブランドまで幅広く手がけられていました。

終わりに

今回のニュースは衝撃でした。

もしかしたら今価格が沸騰しているフェンディのようにラガー・フェルド氏が手がけたブランド全てが沸騰するかもしれません。



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